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-------------------- ◇特集[三澤康彦+三澤文子 木造住宅の立脚点]【★★★☆☆】 Ms建築設計事務所が多用しているJパネル落とし込み工法によって作られた住宅を題材に、木造住宅のデザインについての紹介となります。 杉の3層クロスパネルであるJパネルは、耐力壁でありながら、仕上げ材でもあるという、多機能な面材であり、水平構面として使うこともできます。構造用合板と同様に耐力がありながら、大工が鉋などをかける必要のない化粧材でもあるため、工事の短縮かと省力化となります。間仕切壁や家具など造作工事にも使え、多様性、施工性も良い材料です。 また、Jパネル落とし込み構法は、板倉造りのように変形しても倒壊しにくいやわらかさを持ちつつ、構造用合板などの面材を柱・梁に打ちつけたような高くて堅い剛性をもつ構法です。二つの構造の良い面を合わせ持つと同時に、36mmという厚さが防火上、都市部における不燃化にも寄与します。 断熱性能も最高レベルであり、真冬マイナス16度のなかでも、薪ストーブ1台で火が消えた後でも朝6時20度の室内温度を保つことができることが確認されています。 [胡桃山荘] 長野県上伊那郡にある木造二階建てのJパネルモデル住宅です。Jパネルだけで、どこまでやれるのかと挑戦した住宅であり、滞在することで、住宅展示場のような場所では味わえない、木ともに暮らす生活を五感を通して体験できるため場所となっています。 樹齢200年を超える大黒柱を中心とした構成で塗装もなく、木の肌触りが床・壁・天井まで溢れ、素材に触れながら生活するという、余計なものをそぎ落としたコンセプトそのものを体現化した住宅です。 木の住まいづくりを始めたい、木の住まいってどうなのという人に向けたメッセージが、そのまま形となっています。Ms建築設計事務所にとっての最もベーシックな建物と言えます。 [高田のいえ] 岐阜県養老町にある明治15年に作られた築130年の町家の改修です。Jパネル工法による改築で住宅性能を上げることを行なっています。 既存建物は改修や増築を繰り返していましたが、床面積ばかりが増えて、使える空間は減り、ますます動きにくくなっているようでした。 そこで、明治期に建てられた部分を残し、全面改修という道を選びました。大きく改修・増築された部分は取り除き、Jパネル構法で増築を行ない、省エネ性能、耐震性能を高め、高齢者に生活しやすい住空間を改修によって提案しました。 古いものを切り捨てるのではなく、新しいものと古いものをつないでいくJパネルによる増築により、住まい手にとって思い入れのある柱や梁の美しさが強調され、旧来の部分とデザインとの共存できているように感じます。 『設計者は現代の棟梁たれ』という言葉の通り、この一連の設計は、阪神大震災を経験した三澤康彦さん、三澤文子さんが現実に向き合った結果生まれたように感じられます。木造建築を次の時代につなげ、可能性を広げる設計となることを期待します。 -------------------- ◇特別記事[アドリア海の美しい都市をめぐる]【★★★★☆】 アドリア海の海洋都市を取り上げ、その歴史的背景や環境を紐解くことで、現在の街並みにどのようなことが秘められているのかを考察していきます。 [ロヴィーニ] クロアチアのイストラ半島西海岸、ほぼ中央に位置する港町、ロヴィーニの街並みについて、猪野忍さんが歴史とともに探っていきます。 この街は13世紀から18世紀にかけてヴェネチア共和国のもと要塞化されました。聖エウフェミヤ教会が中央の小高い丘に立ち、65m鐘楼は船乗りにとっても大切なランドマークとなっています。 ユニークなのは、細街路によって作られた街の景観です。迷宮のごとく、石畳の斜路、路地階段、突き当たりとなるアイストップ、袋小路などで街が構成されています。 また、教会の塔から海へとつづく街路の中に、住居間を縫う街路とともに小さな中庭広場などがあることで、空がひらける場所になります。 海へと下降するに従い、海面も見え始めるという、街並みが織りなす絶妙な組み合わせは、入り組んだ要塞都市そのものが身体的空間演出の舞台として生きています。 [コルチュラ] クロアチアのコルチュラ島にある街並みについて、最勝寺靖彦さんが周辺環境を考察しながら探っていきます。 コルチュラの街は整然と並ぶ街路は規則性を持ち、計画的に作り上げられ、櫛型に直交する路地を含めた路状全体の形態は魚の骨と例えられます。 この島には、ブラと呼ばれる東北からの冷たくて厄介な風が吹きます。それを防ぐため、防風林を設けなければならなかったのですが、それを逆手に取り、並木の下にテーブルを並べ、景観の美しさへとつくりかえてしまいました。 そしてメインストリートを中心軸として反対側の海岸となる、北西側にはマエストラルという心地良い夏風が吹き込んできます。街並みに大きく風が吹き込んでくるよう、風上に向けて路地が一直線につくられています。 この街には、自然を受け入れて共存するという考えが根本にあるため、風が景観をデザインしたと言えます。自然との共存に成功している例ではないでしょうか。 今回、とりあげた街にはそれぞれにそれぞれの地形、気候、宗教、生活などにより都市の構成に独自の違った魅力があります。歴史や環境への配慮を強く求められる、近年の都市計画が参考とすべきことが大いにありそうです。 -------------------- ◇連載 詳細図で読み解く住まい[私たちの家]【★★★★☆】 建築家の林昌二さん、林雅子さん設計の自邸です。お二人はすでに亡くなっておられますが、家づくりについて林昌二さんがつづった文章とともに、この住宅の変遷を追いかけています。 建物は二度の増築が行なわれました。最終的な建物は時代に合わせて作ったことで、新築当時に想像していなかったものになったようです。 まず、新築当初ですが、延床面積56平方メートルの鉄筋コンクリート造の平屋で夫婦と母の3人暮らしの家として1955年に設計されました。断熱材も冷暖房設備も無く、いつか設備を増やせればいいと機器のスペースと梁の貫通口を用意して建築されました。 それから10年後、第二期工事となる最初の増築で、延床面積67.7平方メートルとなりました。設備機器スペースを予定していた場所は収納となり、屋根防水とともに断熱材を貼られ、少しずつ住まいらしい体裁になりはじめました。 新築から数えておよそ25年経って暮らしも周辺環境も変化してきたこともあり本格的な増築としての第三期計画をしました。ところが、上に載せられるはずだった2階は建築基準法の改正で不可能となり、旧家屋に荷重をかけないように木造のキャンティレバーの屋根を設けるなど工夫をして、延床面積が238.1平方メートルの3階建てとなりました。 実際には旧建屋を壊し、新築にしたほうが安上がりでしたが、もったいない上、環境の変化により心の休まらないからと増築を選択されました。 建築家の自邸は、その建築家の信念が見えてきます。林昌二さん、林雅子さんにとっては家というものは気軽に建て直すべきものではないし、過去を捨てるのは忍びないとのことで旧建屋をそっと包み込む形となりました。 新築を選ばなかったという選択は、お二人が建築や環境に対していかに敬意をもっていたかがわかるエピソードではないでしょうか。 --------------------
by k2_plan
| 2012-07-01 09:00
| 住宅計画研究会
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