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-------------------- ◇特集[台所の原風景]【★★★☆☆】 人間にとって大事な食事をつくりだす『台所』のありかたについての特集です。 横浜市にある「フリーハンド:小井田設計室」が設計した『松の木の家』の台所では、火と水を二つの台に分けており、夫婦二人での作業をあらかじめイメージし、双方の肘や体がぶつからないように設計されています。 元所員でこの松の木の家を担当された川島千晶さんは「キッチン」はモノでしかなくて、動きを大切にして「台所」をつくっているとのことで、そういった思考が反映された結果と思われます。 同じく「フリーハンド:小井田設計室」が設計した『須藤さんの家』の台所では、使いやすさを検討した結果、吊戸棚は開き戸、カウンター下収納は引き違い戸など、コンパクトにまとめてた使いやすさを追求、入り組んだものとなったため、1/20の模型も作成して打ち合わせを行っています。 また、吉村順三さんや林雅子さんらの台所においては、その設計内容もさることながら、多くの詳細図面が描かれていることも注目すべきです。 食器一つ一つを置く位置から、扉の開閉方法まで表現されているのを見ると、台所はいかに人間らしさが詰まった場所であるのかがわかります。 台所の設計ではリビング、バルコニー、庭、洗濯室、勝手口といったものとの位置関係、通りやすさ、向き、窓の位置などが大切な要素がたくさんでてきます。 台所はそれぞれの家、それぞれの家族に見合ったものを設計者がヒューマンスケールと人間的感覚をもって、一品生産していくべき場所と考えられるのではないでしょうか。 -------------------- ◇特別記事[“土パッシブ”でつくる省エネ住宅]【★★★★☆】 土パッシブとは自然エネルギーを取り込み、土の蓄熱性を活用することです。機械的な手法に頼らず冷暖房効果を期待するものであり、冬は太陽エネルギーを土に蓄熱させ暖房の補助をし、夏は熱を土に蓄熱させることで室内の最高温度を低減させるものです。 その手法を利用した一つに京都市にある南禅寺の家があります。設計されたトヨダヤスシ建築設計事務所は、京町家によく見られる棟続きではなく、一棟ごとの住宅が密集している敷地において、いかに多くの日照を得て土壁の蓄熱効果を得るか検討し、省エネ住宅を実現しました。 主要室の日照時間を確保するため、隣家の影響や敷地内における配置による工夫をしたり、京町家に見られる畳の部屋・座の空間を提案し、天井高さを2.1mに低くして気積を減らして冷暖房負荷を低減するなど行なっています。 また、木製建具の隙間風対策として障子戸を設けており、玄関からのリビング間の建具でも冷気の侵入を遮れるダブルスキンを採用するなどして隙間風を防ぐなどの工夫が見られます。 そのおかげもあって、長期優良住宅の認定及び構造や省エネ等の基準もクリアし、京都市が認定する平成の京町家認定制度で、一般の住まい手が入居した家としては初めての認定を受けた住宅となりました。 現在、省エネ法が制定され、小さな建物であっても省エネルギー計画書の提出を求められるようになりました。設計者や建主がそれくらい、危機感をもって環境のことに配慮しなくてはならない時代の到来です。 人工的な機器により環境負荷を減らすことは簡単ですし、良いことであるのは確かですが、ベストの回答とは限りません。機器に頼らず、設計の工夫により環境負荷を低減できるならば、設計者はできる限り取り組んでいくべきです。 伝統的な京の街並みを守りながら、地球環境にやさしく、環境負荷にチャレンジした南禅寺の家は、より未来的な住宅と言えるのかもしれません。 -------------------- ◇連載 詳細図で読み解く住まい[猪俣邸]【★★★★☆】 吉田五十八が設計した猪俣邸は近代数奇屋で、我を主張することなく街に溶け込んでいます。図面はCAD化されてしまっていますが、元々の図面は手書きです。手書きであればどういったことを静かに主張したかったのか見えてくるので、ぜひともオリジナルの手書き図面が見てみたいものです。 さて、この住宅はエントランスからのシークエンスが素晴しく、大きな家だからといって豪奢にすることなく、低く抑えたプロポーションが特徴的です。 図面で表現されているように、柱における面のとり方一つ一つに、建具におけるレールや障子紙の一つ一つに工夫が施され、やわらかく家人を迎えてくれる工夫がされています。 「良い家とは帰ってきて思い出せない家」という言葉が建築界にありますが、まさにその言葉にピッタリではないでしょうか。 『いつもの』材料をいかに家とマッチさせるか、つまり、空間を飾るのに、材料、質、技術、使い方、つながり方をどう取捨選択するかにおいて、木や紙といったエコ材料を使ったヒューマンスケールのプロポーションを選んでいます。 吉田五十八が生きていた頃というのは、教養、素養を大切にしていた時代であり、主張し過ぎない趣きが評価されていた時代でした。 日本に息づいていた『粋』がそこにはあり、こういった循環型のものでできていた日本の建築は、近年切れてしまった印象があります。ですが、吉田五十八の設計にはそういったものがありました。 時代の不連続性をどう乗り越えるかを考えていくのも建築家の役割と考えます。 --------------------
by k2_plan
| 2012-03-01 09:00
| 住宅計画研究会
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